宇野亞喜良展に行ってきた
宇野亞喜良といえば、”エロチックな少女のイラスト”といったイメージが強く、さして好きなアーティストではなかったけれど、友人がチケットを手に入れたからと誘ってくれたので、お付き合いで東京オペラシティ・アートギャラリーへ。
ところが、あまり期待もせずに行ったこの展示がものすごく良かった。
まず、1950年代半ばからグラフィックデザイナーとして活動してきた宇野が、90歳の現在もなお制作を続けていることに驚かされ、一気に宇野ワールドに引き込まれた。
15歳のときに描いた自画像の画力からして将来性を感じさせるし、1960年代に手がけた企業のポスターやカレンダーがまたすごく良かった。わたしの知らない宇野亞喜良の世界にぐいぐい吸い寄せられる感じ。完全手作業でのレタリングやデザインワークは、人の手跡が感じられ、それだけで観る者を惹きつける。パソコンがなくてもこんなに美しいデザインができることに改めて感動した。規制フォントを使わないぶん、デザインに味が出る。
そして何より刺激になったことは、通路一面の壁に貼られた年譜。美術だけでなく、61歳で鳥居ユキのファッションショーのモデルとなったり、舞台の芸術監督担ったり、とにかく60代以降も精力的に活動。作品ももさることながら、90歳の現在も現役で作品を産み続けていることが素晴らしい。バイオグラフィーに記載された事項は、60歳以前より以降のほうが多いのだ。わたしもまだまだ頑張れそうな気がして、嬉しくなった。
企業広告、絵本、新聞・雑誌の挿絵、書籍の装幀、舞台美術など、幅広い分野で能力を発揮した宇野の初期から最新昨まで全仕事を俯瞰するこの展示は、圧倒的な迫力で観る者を魅了する。
ゆえにすごく疲れてしまった。友人もとくに宇野亞喜良の絵が好きだったわけでもなかったみたいだけど、見終わった後は、二人ともしばらく館内の椅子にへたり込み、2日がかりで観るくらいのボリュームだったねと、感動を分かち合った。
作品も生き方も、何もかも、圧倒的にすごかった!
monthly journal / may.2024
「お金は生きもの」なんだって
これまでの人生を振り返り、お金がないことで、悔しさや情けなさやねたみを感じたことはあまりに多い。「先立つもの」=お金であり、やりたいことを楽しくやるためには、やっぱりお金がなくちゃなにも始まらないと思ってきた。それが、お金は生きものという考え方を知ってから、お金に対する認識が変わりつつある。
量の多寡を表す数字ではなくお金を生きものととらえれば、どのような使い方をすると彼ら=お金が喜ぶかということを考えるようになる。自分のところに来るお金がどこからやってきて、そして出ていくお金が何に使われるのかということにも意識が向く。
お金を生きものだと思えば、金額(数字)で判断するのではなく、お金の未来を考える。お金はにわかに命を宿し、盛衰する生きものになる。
老後2000万円の貯蓄が必要と言われると、暗澹とした気持ちになる。けれど、お金こそが老後の安泰を保証してくれるものなのだろうか。いくらお金があっても、健康じゃないと老後を楽しむことはできない。病気になり経済的な理由で治療が受けられないなら、それが自分の健康寿命と受け入れる(諦める)。高額な医療費をかけて不健康なまま生き延びるよりいいのではないかと思う。
質のいい睡眠をとるために、お日さまを浴びる、一定量の運動をするなど、日々の小さな継続でどこまで医者いらずで健康に暮らせるのか試してみたい。お金がないなら、質素な食に慣れることも必要。健康を維持できる最低限の食を感謝していただく(そのためには、まず精神面の修業も必要か……)。
とりあえずわたしは6~7年前から肉食を止め、なんちゃって菜食主義を実践中。少しだけ食費が浮く。なるべく医療に頼りたくないので、免疫力や自己治癒力を高めることを意識している。
ちぐはぐに聞こえるかもしれないけれど、免疫力アップのためには時々美味しいものを食べたり、非日常空間で幸せ感に浸ることも大事だと考える。ポジティブな消費はよいエネルギーを生むので、幸せ感にお金を使うことは健康投資で無駄遣いにはならない、我慢をすることは生きものとしてのお金のパワーを萎縮させることにもつながる、という考え(自己肯定のための言い訳とも)です。
衣類についてはどうだろう。流行のデザインは避け、質のいいものを長く着る。たとえば天然繊維の衣類は、耐久性があるとは言い難い。けれど繕うことで、より魅力的に変化させることもできる。リサイクルではなく、アップサイクルへ。
また作り手の顔が見えるものを買うことも、お金に栄養を与える行為だと思っている。作り手へのリスペクトや応援の気持ちがポジティブなエネルギーとして、循環を始めると思いたい。わたしが使ったお金で誰かが幸せになったら、幸せのお金が次の方へ渡る。
これまではお金が回る仕組みを見ていなかった。お金が資本家に搾取されていることを理解したのは、斎藤幸平の『ゼロからの資本論』を読んでからだ。じっさい共働きが増えて労働力は拡大、ITの進化で効率化も進んでいるにもかかわらず、暮らしは一向に豊かにならないし、人はますます忙しい。
本書は、マルクスの資本論を行きすぎたグローバル資本主義に照らして考察する。儲けを生まない「使用価値」より儲けを生む「価値」や生産力を追求するなかで、労働者の自立性や人間らしい豊かな時間が奪われていった。経営者による「構想」と労働者の「実行」が分離され、資本の時間と自然の時間が乖離してしまったことを資本主義の問題点としてあげている。
そう、わたしたちはもう成長を目指す必要はない。脱成長に舵を切れば資本家に搾取されることが減り、心に余裕が生まれ、余暇社会へと移行する。わたしもそれを強く願う。
*『ゼロからの資本論』 斎藤幸平 NHK出版新書
monthly journal / apr./2024