「ショックドクトリン」を考える
忘れていたころに図書館から連絡が来て、リクエストの理由を思い出せないまま読み始めた『堤未果のショック・ドクトリン』(幻冬舎新書)は、なかなかに衝撃的な内容だった。
「ショック・ドクトリン」とは、テロや大災害などの大惨事につけこんで、為政者や巨大資本が巧妙に進める政策手法のこと。9.11が起きたとき隣接するビルで働いていた著者は、事件後のストレスとPTSDにより仕事を辞めて帰国、しばらく情報と人との接触を断つことで自身の五感を取り戻し、再び渡米してジャーナリストになるという経歴の持ち主だ。
誰でもショッキングな事件が起きると、冷静に考えることはできなくなる。恐怖と不安で押しつぶされそうになり、安全安心を求めて「大きな声」に耳を傾ける。記憶をたどれば、3.11の後、東京にも放射能が飛んでくると言われたときや、コロナ禍の初期、最初の死者が出たというニュースが流れたときがそうだった。巨大化する不安で、自分自身の思考は停止状態のまま、情報をかき集めていた。
「危機が発生したら迅速な行動をとることが何よりも肝要であり」「現状維持の悪政に戻ってしまう前に経済改革を実行する」ことが重要と唱えたのは、シカゴ大の経済学者ミルトン・フリードマン(1976年ノーベル経済学賞を受賞)。「災害便乗型資本主義」は彼の教義がベースにあるらしい。
世界や日本で実施された(もしくは進行中の)「ショック・ドクトリン」の事例を見ていくと、何も知らずにのうのうと暮らしてきた自分が恥ずかしくなるが、東日本大震災や原発事故、コロナ禍を体験して、報道を鵜呑みにしないということは学んだ。新型コロナ政策では、行動制限や商業施設の制限、PCR検査やワクチン接種、マスク着用の半強制、コロナ薬とマイナンバーカード普及活動など、コロナが終息し(実際はわからない)、冷静になった頭で振り返ってみると、おかしいことだらけだと気がつく。
「一番大事なことは、どちらが正しいか間違っているかという善悪ではなく、「おかしい」と感じる自分の直感をキャッチする感性を持ち続け、最後まで「選択肢」を失わないこと」と著者はいう。
折しも都知事選の投票が迫っている。表向きの顔やあいまいな言説に騙されないよう、自分のなかの「違和感」を大事にしようと肝に銘じた。
monthly journal / jun.2024