「お金は生きもの」なんだって
これまでの人生を振り返り、お金がないことで、悔しさや情けなさやねたみを感じたことはあまりに多い。「先立つもの」=お金であり、やりたいことを楽しくやるためには、やっぱりお金がなくちゃなにも始まらないと思ってきた。それが、お金は生きものという考え方を知ってから、お金に対する認識が変わりつつある。
量の多寡を表す数字ではなくお金を生きものととらえれば、どのような使い方をすると彼ら=お金が喜ぶかということを考えるようになる。自分のところに来るお金がどこからやってきて、そして出ていくお金が何に使われるのかということにも意識が向く。
お金を生きものだと思えば、金額(数字)で判断するのではなく、お金の未来を考える。お金はにわかに命を宿し、盛衰する生きものになる。
老後2000万円の貯蓄が必要と言われると、暗澹とした気持ちになる。けれど、お金こそが老後の安泰を保証してくれるものなのだろうか。いくらお金があっても、健康じゃないと老後を楽しむことはできない。病気になり経済的な理由で治療が受けられないなら、それが自分の健康寿命と受け入れる(諦める)。高額な医療費をかけて不健康なまま生き延びるよりいいのではないかと思う。
質のいい睡眠をとるために、お日さまを浴びる、一定量の運動をするなど、日々の小さな継続でどこまで医者いらずで健康に暮らせるのか試してみたい。お金がないなら、質素な食に慣れることも必要。健康を維持できる最低限の食を感謝していただく(そのためには、まず精神面の修業も必要か……)。
とりあえずわたしは6~7年前から肉食を止め、なんちゃって菜食主義を実践中。少しだけ食費が浮く。なるべく医療に頼りたくないので、免疫力や自己治癒力を高めることを意識している。
ちぐはぐに聞こえるかもしれないけれど、免疫力アップのためには時々美味しいものを食べたり、非日常空間で幸せ感に浸ることも大事だと考える。ポジティブな消費はよいエネルギーを生むので、幸せ感にお金を使うことは健康投資で無駄遣いにはならない、我慢をすることは生きものとしてのお金のパワーを萎縮させることにもつながる、という考え(自己肯定のための言い訳とも)です。
衣類についてはどうだろう。流行のデザインは避け、質のいいものを長く着る。たとえば天然繊維の衣類は、耐久性があるとは言い難い。けれど繕うことで、より魅力的に変化させることもできる。リサイクルではなく、アップサイクルへ。
また作り手の顔が見えるものを買うことも、お金に栄養を与える行為だと思っている。作り手へのリスペクトや応援の気持ちがポジティブなエネルギーとして、循環を始めると思いたい。わたしが使ったお金で誰かが幸せになったら、幸せのお金が次の方へ渡る。
これまではお金が回る仕組みを見ていなかった。お金が資本家に搾取されていることを理解したのは、斎藤幸平の『ゼロからの資本論』を読んでからだ。じっさい共働きが増えて労働力は拡大、ITの進化で効率化も進んでいるにもかかわらず、暮らしは一向に豊かにならないし、人はますます忙しい。
本書は、マルクスの資本論を行きすぎたグローバル資本主義に照らして考察する。儲けを生まない「使用価値」より儲けを生む「価値」や生産力を追求するなかで、労働者の自立性や人間らしい豊かな時間が奪われていった。経営者による「構想」と労働者の「実行」が分離され、資本の時間と自然の時間が乖離してしまったことを資本主義の問題点としてあげている。
そう、わたしたちはもう成長を目指す必要はない。脱成長に舵を切れば資本家に搾取されることが減り、心に余裕が生まれ、余暇社会へと移行する。わたしもそれを強く願う。
*『ゼロからの資本論』 斎藤幸平 NHK出版新書
monthly journal / apr./2024